専属キャディーは!小っさいオッサン
はじめに
いつもブログを読んでいただき、ありがとうございます。
これからもゴルフを中心に日記を綴っていきたいと思います。
ゴルフは1987年にはじめてクラブを握り、その間休憩したり、一生懸命したり怠けたり、のめり込んだりと現在まで楽しく厳しく続けています。昨年はゴルフ歴30年という節目。ゴルフの魅力や楽しさをアマチュアゴルファーの視点から伝えたいと思いブログをはじめました。
おもしろおかしく読んでいただければ嬉しいです。
こんにちは。
前回まではスポーツにはメンタルが大きく関与し、正しいメンタルの知識を持つことは財産になる。ということを自身のイップスの体験を踏まえてお話しさせていただきました。技ばかりに思考が偏りますが、それを操る体や心にもトレーニングやケアが同じように、いやそれ以上に必要なんだと経験を通じて知ることができました。
さて、今回はこのメンタルをコントロールする方法を自分なりに模索し、4年前から実施している方法があります。
けっこう恥ずかしいです。
が、
お話しさせていただきます。
まずは重要人物が登場しますので紹介したいと思います。
実は僕には専属キャディーがいます。
岐阜県出身、59才、身長159センチ、元教師で現在は三重県のゴルフ場(キャディーマスター室)に勤めています。奥さんの親の介護をするため55才の時に教師を辞めました。奥さんも教師で現在は岐阜市内の中学校で働いています。
今年は還暦を迎えるので、お祝いです。本当に仲の良いご夫婦です。
彼の性格は真面目でバカ正直。
いつも何かしら細々と動いていて、制止すると死にます。
元気でポジティブ。
「悪」が大嫌いで相手が誰であろうと容赦なく正します。
だからウザイウザイとよく言われています。
職場のあだ名は カツオ です。🐟
こんな人間ですが下ネタは嫌いではありません。
彼は僕のことを伊藤さん。僕は彼のことを「ちぃっさいオッサン」と呼びます。
略して「オッサン」になりますけど。
僕はオッサンにゴルフだけではなくて、人生における全てを相談します。
仕事でオッサンにどう思う?って聞くと。どうしたいの?って返ってきます。
こう考えてるんやけど、、って言うと。「それで行こう!できますよ!」
100%肯定してくれたあとに、
「まずは何から動く?いつする?リスクは?」って質問攻めにあいます。
だから僕はそれを考えて実行しようとします。
ゴルフの場合、例えばティーショットを何で打つか?ドライバーなのか3Wなのか違う他のクラブなのか。
その時の天気だったり風だったり、心境だったりして迷う時あるよね。
競技だからとか、今日はスコアがいいから、ホールが気持ち悪いとか、といって消極的な策を考えてしまうことって多々あります。
その考えかたはこの場面を乗り越えたとしても次に繋がらない。ただ怖がって曲げたくないだけ。リスクが見当たらないなら、ベストポジションを目指してドライバーで振り抜こうよ ! セカンドは短いクラブでピン狙えるよ ! って、全体の目的とすぐ前のターゲットを明確に再確認させてくれます。
でも、やっぱりここは3Wじゃ。って僕が決めれば、わかりました。と受け入れて、次のことを計算してくれます。
また、ミスはしたくないのにピンばかり狙うのが自分のクセ。
ピンを狙う動作なのに、ミスしたくないという思考が強ければ、スイングに何かしらのユルミが起こります。
ピンの奥、手前。右、左。
ベストとリスクを打つ前にしっかり決めて下さい!と注意してくれます。
行ってみると、こっちはずしたらアカンやつ、、、。近いけど90%ボギーになる状況てあるんですよね。
オーバーした8mを沈めるしかないパーとか。
オッサンは、消極的にピンを狙わない行為も怒りますし、このように計算されずにピンを狙う行為も許してくれません。
ターゲットを明確に設定して、そこにショットを放つ。
マネージメント、マネージャー的な役割ですね。本当に有難い存在です。
しかしながら
このオッサン
じつは妄想の世界
自分がつくりあげた妄想人間なんです✌🏻
、、、、引いたやろ???
え~~とですね、自分で自分に言い聞かせるのが超不得意でして、自分に言い聞かせるのって無理なんです。自分の言うことなんか聞いた覚えがないです。
そもそも「自分が自分に言い聞かせる」の意味がわからない。
なので、妄想のオッサンに自分のなかの他人になってもらって話し相手やマネージャーをしてもらうことにしました。って話なんです。
自分のなかに他人を置くことで、素直になれることがわかりました。
それと、目標へのプロセスを考えることに気づきました。
多分、このプロセスがキモなんだと思います。
辞書で調べると「結果を達成しようと試みる、ある特定の行動の過程」と書かれています。
わかっていてもヤッテしまうこと沢山あるんですよね。
例えば、
今できることを明日にまわす。
車のスピード出しすぎ、シートベルト、携帯いじり。
夜中のラーメン。
別腹が多すぎ。
運動不足。
などなど。
以前より、日常の些細なことまで気をつけて最終形のイメージとそれに向かう方法を考えるようになったんです。
50才を超え年齢的なものもあるのかもしれませんが、本当の話しです。
子供なんですかね。
60、70ハナタレ小僧って言うしね。
50なんか赤子ですよ。
と、
言い訳も言っといて。
オッサンを置く前と置いた今とでは、思考だけじゃない、明らかな行動の差があるんですよ。
でも、超真面目で悪を嫌うこのオッサンは、あくまで僕の場合です。
自分と相性が合う人で、絶大に信用できる人を細かく完璧に設定しました。
生身の人間ではダメなんです。
心理学でこれを何と呼ぶんでしょうか?専門的なことを知っている方がいましたら教えてください。m(_ _)m
これがハマっておりまして。
これからの人生はオッサンなしでは生きて行けません。
オッサンのある人生。
それより嫁さん探せ!笑
オッサンとは今年で4年の付き合いになります。イップスのドツボから抜け出せたのもオッサンの存在は大きかった。
まだまだ克服は出来てませんが、よくなるキッカケになってくれたのは間違いなくこの人の存在です。
それでは、なぜオッサンにいきついたのか?
なぜ、59才の小っさいオッサンなのか。
を説明したいと思います。
はじめは、色々な妄想の人物を設定し、試験をしました。
この設定に要した期間は約1年。オッサンにたどり着くまで結構時間がかかりましたねー。
女性、男性。
後輩やプロキャディー。
女子高生に女子大生に芸能人。
黒メガネをかけた秘書系に、色気のあるおばさん。
やっぱり男性より女性がよかったので、女のひとばかりで試みました。
でもアカンかったね・・・。
妄想の世界なので、理性がないんですよ。
理性がないということは、妄想が違う方向にいきがち。
いきがちというより、エロいです。
何人も何人も試した結果。
この人、「小っさいオッサン」になりました。
・年上
・男
・バカ正直
・嘘がない
・裏がない
・人目関係なし
・よく動く
・頭がいい
・ポジティブ
・元気
・正義
・熱い
・冷静
・奥さん思い
・小さい
・細い
・丸顔
・スケベ
・少し影がある
・日当10,000円
オッサンの家族構成はイメージで湧いてきたものです。
お二人に子供はいません。
何でいないのかは、まだ怖くて聞けません。30才を過ぎての職場結婚だったのは知っています。
やっぱり引くか???
は は は は ー 。
自分に自分が言い聞かせられない人、
もうひとりの自分を置けない人、
オッサン貸し出してもいいですよ。
僕より6才年上。
今年は、12月31日で60才をむかえるオッサンは還暦です。
そして、
オッサンは僕より先に死ぬことはありません。
孤独感まる出しの
ひとりごとでした。
低レベルな話に長いことお付き合いいただきまして、
大変恐縮です。
今日はここらでよかろうかい。 (西郷どん風)
いつも拝読ありがとうございます。
m(_ _)m
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【プロフィール】
伊藤 源太
1964年生まれ
Pearl Association of Japan
一般社団法人 日本真珠協会
日本が誇る真珠ブランドの発展と世界発信に活動しています。
【ゴルフ主歴】
富山国体 三重県代表
三重県アマ男子チャンピオンズカップ 優勝
PGA中部フィランスロピーダブルス 優勝
中部社会人ゴルフ選手権 優勝
2001~2010 地域ジュニアゴルファー育成会・地元高等学校指導など、ボランティア講師を歴任。
【SNS】
Genta Itoh
しくじり先生 俺みたいになるな ‼︎
いつもブログを読んでいただき、ありがとうございます。
これからもゴルフを中心に日記を綴っていきたいと思います。
ゴルフは1987年にはじめてクラブを握り、その間休憩したり、一生懸命したり怠けたり、のめり込んだりと2017年現在まで楽しく厳しく続けています。
病んでました笑↑今もですが笑笑
こんにちは。
今回でイップス議題も最終回になります。
年間平均ストローク72.03を記録したところから滑り落ち、最悪108ストローク。ゴルフから離れる決意をすることに。
それでは、苦しみから克服までの過程を書いていきます。このブログを参考にしてくれる方がひとりでもいれば幸いです。
前回は本格的な腰の悪化で戦線離脱するところで終了しました。
復帰できるまで2年半を要して久しぶりに迎えたゴルフ。
楽しみと不安な気持ちを持ち合わせてゴルフ場へと向かいます。
この日、次のような体験をします。
●全ショット、ドライバーからパターまでボールが爆弾。爆弾を打つような衝撃と脳に痛みがくる感覚。
●動作中、身体をバン!と強打される感じ。
●打つ時だけ自分のなかに他人がいる。
●腰に痛みがくるのを怖がっているのか、100%イップス症状なのかわからない。
これはイメージが湧かないと思うので、皆さんの想像におまかせすることにします。
このように他に同じような例がなく説明しにくいのが正直な表現なのです。
僕は2004年から2009年まで、この症状を誰ひとり話さずに隠していました。
2010年に仲間に打ち明けますが、今年2017年まで約13年にまたいでイップスと同居しています。
発症した当初、こんな状態なので当然スコアにならないし、おもしろくもない、ゴルフから気持ちがどんどん遠ざかっていきます。
イップスという言葉と意味は知っていましたが、そんなものは神経質で気持ちの弱いやつがなるもの。自分には無関係。興味はゼロ。
こんな考えでした。
これは僕だけではなく多くの人、がイップスをこのように見ているんじゃないでしょうか。
社会性とも言えますよね。
この頃、スコアが悪い理由は腰が痛いから、イップスなんてひた隠しにしていました。話しても言い訳に聞こえるし、自分も理解してあげれなかったから、理解してもらえると思わなかったからね。
この5年間のワーストスコアは108ストローク。
1組だけのプライベートなラウンドのときでした。
競技も1度だけ出場しています。
優勝実績のある中部社会人ゴルフ選手権。
94ストロークです。
その後も症状はヒドくなる一方。
そんな日々がダラダラ過ぎ去っていくなか、
1991ロイヤルバークデールで開催された、全英オープンの勝者、「イアン・ベーカーフィンチ」のことを思い出しました。
オーストラリア出身で日本を含む世界のツアーで18勝。
こんな選手が全英オープンの優勝から30戦以上予選落ちが続きます。
このベーカーフィンチの低迷がイップスだったいう話しは聞いたことがありました。
イアン・ベーカーフィンチ。 オーストラリア クイーンズランド州出身。
1960年10月24日生、193cm。通算18勝。(米ツアー2勝、欧州ツアー2勝、日本ツアー3勝、豪州ツアー11勝)主に日本を主戦場にして戦い、1991年ロイヤルバークデールで開催された全英オープンで優勝。
この数年後、驚くべきニュースが報じられる。「ベーカーフィンチは、遊びでも90を切れなくなり、ツアーから引退した。」全英を獲って「世界一」になったプロゴルファーが、僅か数年後に遊びでも90を切れなくなる。磨き上げ、積み上げた技術が、「心」の有り様でいとも簡単に崩壊した実例とも言えよう。
周りから真面目で練習熱心だったと言う評判のベーカーフィンチ。
全英オープンで世界一になったあとに「心のバランス」を崩してしまったのか・・・。
「メジャーチャンプらしく」、と言う意識が、身体を縛り付けてしまったのか・・・。
全英オープンに勝っていなければ、もっと長くゴルフを楽しめたのかもしれない。
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恥ずかしい話しなんですが、同じとき私生活でも頭痛や発作などの症状がでます。
ゴルフはできなくても死にませんが、この症状、発作は本当に死ぬかと思いました。
病院が出した診断はパニック障害。まさか自分が精神疾患になるなんて信じられなかったですね。
・会社の新事業を運営する子会社の代表に就任。
・母親の死。
・実家、家業の業績不振。(家業は父親と弟が経営)
同時期にこれらを背負います。ストレスのキャパオーバなんですよね。
調べていくうちに精神疾患の中でもパニック障害はイップスに一番近いとわかりました。これで、完全にゴルフが出来なくなったのです。
40才から47才くらいのことです。
手間も時間もかかったのは実家の件でしたが、心の負担はやはり母親が大きかったですかね。このように、あまりにも色々なことが重なっていきました。
しかし、これぐらいの責任や負担は自分だけじゃない、沢山のひとが重い責任や負担を抱えて生きている。
自分にも何か原因がある・・・・。
たしかに運も時期も悪いけど、自分の考え方や進み方は正しいのか??
これにやっと気づきました。
ここから独自にメンタルやイップスの勉強をはじめることになります。
この「気づき」が分岐点になります。もしなければ、、と考えると本当に怖くなります。
そして、アドバイスをいただくことになる専門家の先生にも出会います。
色々な書籍を読み、インターネットでも調べたなかで自分が最も参考にしたことを書かせていただきます。
日本イップス協会会長、元ソフトバンクホークスメンタルアドバイザー
河野昭典先生の著書
「イップスかも知れないと思ったら、まず読む本」脳のしくみとイップスの関連性。から抜粋、参考。
1.脳のイメージと伝達
試合を目前に「失敗をしてはいけない」と強く思い込んでいるとします。
これは脳の中の1割しか占めていない意識(顕在意識)の部分であり、この時、脳ではなんと「失敗している自分」のイメージが描かれています。これは残りの9割の無意識(潜在意識)のイメージに繋がります。このイメージが細胞に伝達された時、本来の思いとは裏腹に失敗してしまう可能性が高くなってしまう。これが脳の仕組み。
例えば、お客様にお茶を出すとき、「こぼさないように」と思っているが、脳に描かれている絵は、「こぼしている、失敗している」絵になってしまいます。
脳は描かれた絵(イメージ)から忠実に全身の細胞へ指令を出します。お茶をこぼした絵(イメージ)から出る指令は、当然こぼすべき失敗すべき動作へと繋がります。即ち、失敗しないようにと思えば思うほど失敗しやすいと言われているのはこのことを指しています。失敗したくないと思うのはごく自然なこと、逆に思わないようにすること自体も人間にとって苦痛になります。思わないように、考えないようにする行為は、それに集中してしまうので脳は混乱し、考えが停滞してしまいます。
最善の方法は、「イメージを置き換える方法」。
まず「失敗したくない自分」がイメージされます。それに留まらず「この先、どうしたいのか、どうなりたいのか」まで具体的に思い描くことで、「なりたくないもの」から「なりたいもの」へイメージを置き換えるのです。
これがイメージ通りに必要な細胞に伝達されていきます。さらに細かく具体化されるとより効果的です。先ほどのお客様にこぼしたらいけないという不安はありつつ、「お茶が温かいうちに飲ませてあげよう」「はやく飲ませてあげたい」などの目的に考えをフォーカスすることで、こぼしてしまう絵(イメージ)から目的を達成する絵(イメージ)へと描き換えられ、動きやすさへと繋がります。
ゴルフなら、「OBしたくない、曲げたくない」から「ピンが左サイドなので右フェアウェイに、できればドローで狙いたい」という考え方を追加するのです。
実際に今、イメージが描き換えられるようでしたら試してください。鮮明にイメージすることでスムーズに動作できる変化に気づいてもらえるかも知れません。
2.意識と無意識
人間の心の中には「意識」「無意識」があり、意識して行動したものは必ず無意識になっていきます。ゴルフの場合なら、はじめたばかりの頃、グリップやスイングは勿論、ボールの種類やグリーンフォークの使い方まで人に教わり、人の姿勢を見て学び、意識して始めたのではないでしょうか。これを繰り返していくうちに、あっという間に無意識で行うようになり、「もっと上手くなりたい、どうすればなれるか」という意識に変わります。日常のことも同様に、次々と無意識にできることが増えて人は進化し続けています。
ここでいう意識は「顕在意識」のことであり、無意識は「潜在意識」です。
一般的に人が意識して行うことは全体に1割にも満たないのですが、必ず無意識の領域である潜在意識に入っていきます。この潜在意識の割合は9割ということになり、我々の普段の行動はほとんど無意識に行われていることです。
無意識の中に経験値が全て詰まっていると考えられます。経験はよいイメージばかりではなく、不安や緊張、恐怖といったマイナスイメージも含まれます。その中に蓄積されたものが「意識化」されて出てきます。一方で、経験のないないものは無意識にはありません。
ないものは意識化されず、つまり能力として発揮できません。
ゴルフが大好きで練習を積み重ねていたにも関わらず、いざ本番になると緊張でパフォーマンスが発揮できない状態があるとします。この緊張や不安を受け入れてリラックス状態で臨んだ時に練習してきたことが難なく本番でも出来ること。それが潜在能力を発揮する瞬間です。9割を占める「無意識」に蓄積されたものが、残りの1割の「意識」を通って、出てくる」。
どんな天才でも発揮できる潜在能力は1割未満と言われています。それまでに培った経験(練習など)が土台となり不可欠です。
3.「~すべきだ」から「~しよう」へ
人生のあらゆるシーンの中で「すべきだ」「しなくてはいけない」「でなければならない」という言葉や思いの観念にとらわれる、または執着するとき、能力が減退を始めるといわれています。約60兆個ある人間の細胞が減退を始めることになるのです。
けれども、逆に「したい」「しよう」といった自分から発する思いなら、脳が活性化するのです。「しなくてはいけない」という思いは、本来したいと思うイメージではなく、無意識にある不安のイメージを脳に描いてしまいます。
また、結果を重視するあまり、完璧を求めすぎてしまうのです。
人は生きていくうえで100%完璧に思い通りになることなど、まずありません。
しかし、「しなくてはいけない」と完璧を求めてしまうから葛藤が生まれ、不具合に繋がってしまいます。人間は、習慣化、耐性化してしまう傾向があり、葛藤が癖にとなって身についてしまいます。これを詰め込んでいくようになり、あふれ出たときは症状となって現れます。
この状態は、鬱の症状にもあてはまります。パニック障害や適応障害、不安障害なども鬱という大きなカテゴリーの中に入ります。イップスの症状に近いのがパニック障害で、突然症状が出るため、どうしていいかわからない大きな不安にかられます。このようにスポーツだけではなく普段からの考え方も「しよう」「したい」という考え方を心掛けることが大事。
作新学院大学准教授
笠原 彰先生からいただいたアドバイス。
4.ルーティンを取り入れる
ターゲットの明確からインパクトまでは、プレショットルーティン。
インパクトからフィニッシュまでを、ポストショットルーティン。
ルーティンはその時間、歩数、その幅、加えて「心を込める」ことが最も重要である。
毎回の誤差は2秒以内である。
5.イップスは結果や過去の実績、または人目が脳を洗脳し、身体を硬直させるもの。
結果を考えないのではなく、他のことを考えること。
結果の前に必ずプロセスがある。そのプロセスをしっかりつくり直すよう日々努力する。やりたいことを言い、それを明確にする。深呼吸でリラックスしてからやりたいことに集中して動作に入る。
以上が沢山の情報から特別参考にさせていただいた5項目です。
作新学院大学の笠原 彰先生には直接ご指導を受けました。
笠原先生、本当にありがとうございました。
しくじりから学んだこと
●スポーツでも仕事でも、スキルや結果だけ求めてもダメ。そこには目的に対するプロセスや正しい考え方があり、体力の上で動くものである。「心」「技」「体」同時に高めることが必須です。
●できない自分を許し、できなかった他人を許すこと。「できなければならない」から「できるようになろう」へ考え方を変換し、具体的にやるべきことを明確にして実践すること。
●向上心や強い思いはそのままに、目的達成までのプロセスを描いて進むべき。その動作にはルーティーンを設置して心を込めて行う。そしてリラックスできる時間や動作は何をおいてもつくること。
精神疾患やイップスの内容は十人十色ですし、これらは僕が参考にした書籍や専門家のアドバイスということをご理解ください。
パニック障害は7年前に完治しました。
イップスは6割克服できたかなって感じです。
あとの4割は克服するというより老化&ステップアップするためのギフトだと考えるようにして生涯付き合うつもりでいます。
イップスやパニック障害になったことでマイナスも沢山ありました。
しかし、自身のレベルアップや将来性など、トータルすればプラスになったと本心思っています。
色々なことを気づかせていただきました。
皆さんのなかに誰にも言えず苦しんでいる人がいたなら、イップスは克服できると信じています。
パニック障害や鬱もイップス同様に克服できるものだと僕は思います。
ただし、それらを受け入れて、頑固な自分の考え方を柔らかくできた人に限ると付け加えさせて下さい。
最後に、日本では「メンタルが弱い」という自分を受け入れにくい考え方がまだまだ一般的です。
社会もそう考えています。
カウンセリングを受けることが「恥ずかしい」「世間体が悪い」という感覚が根強いのです。精神科や心療内科も同じです。
メンタルというものをもっと重要視する風潮と、手軽に門をたたける環境があれば、イチロー選手や松山英樹選手、宮里藍選手のように世界で活躍する選手が増えると思うし、選手生命も長くなると思います。
加えて、ストレスからくる病気や自殺も減ると僕は確信しています。
長文拝読ありがとうございました。m(_ _)m
次回のお題は、、、
「僕のキャディーは、ちぃっさいオッサン!」
実はイップスの克服に1番活躍してくれたのは、このオッサンなんです。
年令59才。
身長159センチ。
それでは、お楽しみに。
続編 楽しいゴルフ人生をイップスとともに歩む
はじめに
いつもブログを読んでいただき、ありがとうございます。
これからもゴルフを中心に日記を綴っていきたいと思います。
ゴルフは1987年にはじめてクラブを握り、その間休憩したり、一生懸命したり怠けたり、のめり込んだりと2017年現在まで楽しく厳しく続けています。ゴルフ歴30年という節目にゴルフの魅力や楽しさをアマチュアゴルファーの視点から伝えたいと思いブログをはじめました。
おもしろおかしく読んでいただければ嬉しいです。
こんにちは。
2017日本女子オープンゴルフは畑岡奈紗選手一色で幕を閉じました。
40年振りの大会連覇。メジャー最小20アンダー。2週連続優勝。しかもアマチュアとプロでのオープン連覇は今後塗り替えれるような記録ではなさそうです。
テレビ観戦ですけど、この快挙を目撃できて喜んでいます。また、ローアマの高校2年生小倉彩愛選手。落ち着いたプレースタイルがハンパなかった。2人ともすごいね。
17才と18才。(^^)
畑岡選手は米ツアー再挑戦をするらしいので頑張ってほしいですね。
さて、ブログは前々回からイップスの議題で続いています。
まだそれがイップスの前兆だと気付きもしない2000年三重県オープンの最終ホールを前にしたところで終了しました。
3年間予選会を通過できずに、やっと本戦出場を果たした三重県オープンゴルフ選手権。初出場ながら通算2アンダーパーで35ホールを消化し、ベストアマ争いのど真ん中にいます。
最終日の17番ホール終了まで「豚が木に登った状態」をキープして邁進してきたわけですが、最終ホール18番・475ヤード・パー4 を目の前にしたその瞬間!
その舞台がいままでの自信を粉砕し、豚を木から降ろします。
一瞬でした。
あと1ホール。
コース No.1 の難ホールを前にして、はじめて緊張と恐怖に襲われます。
やっぱりこうなります。(๑˃̵ᴗ˂̵)
「 ファーーーーーーーー‼︎‼︎‼︎ 」
左OBにビビったドライバーショットは、右フェアウェイとラフ間を通るカート道路をはるかに超えさらに右へ!
右はどんだけ曲げてもセーフ。
ハラハラしながらセカンド地点へ。
運よくスイングはできそうです。
残りピンまで210ヤード、ハゲハゲのラフ + 打ち上げ10ヤードくらいかな。
問題は前方の何本かある木を超えないといけません。
高さは5番アイアンなら越えそう、でもグリーンまでは届かない。
3番アイアンでカラーまで行くかなくらいの距離でした。
色々なことが脳裏をめぐります。結局3番アイアンでスイング始動。
「たのむ拝む上がって!」と念じたショットはすんごいトップボール。
「ハゲライめ~~!って心の中」
ボールは目前、高木の群にまともに突っ込みます。
木に当たる音もせずボールを見失うとすぐに、、、「カラーです!」と同伴競技者。
「よかった~~って心の中」
50センチくらい空いていた木と木の間を通り抜けてグリーンカラーまで行ってくれたのです。キセキでした。
ボールは、ピン真下のカラー。
ピンまで結構な登りですが15yのバーディートライです。のはずが、、、、なぜか、なんでか、PWを選択するんです。
単なる登り15yのカラーからのバーディートライ。それをPWで打つんです。
カラーといっても高麗芝のシャキシャキじゃなくてベント芝のネタネタのやつ。何であえて難しい技術の方を選んだのか。
通常でれば選択はパターがベストだと思います。入れば-3になりベストアマ争いも有利になるしね。
この時、パターでは届かない、、カップに届くイメージができなかった。
脳はすでに感じていました。パターは身体が動きにくい・・・。
このころ、アプローチはどこからでも60度のウェッジやったのに・・・。
ランニングもピッチエンドランも、もちろんロブ系も。でも選んだのはピッチング。
「バーディーよりも、ミスしたくない」と脳が判断してるんだと思います。
「最低パーをとらなければいけない。など、~をしなければいけない」という考えは、ネガティヴな言葉(イメージ)を脳に入れます。
すると不安な気持ちが強くなる一方、自信もなくなっていきます。
パッティングでは身体が動かない!本人も気付いていない無意識がそうさせたのです。
そして、60度よりミスが少ないPWを選んだのだろう。と今はわかります。
結果!そのPWで上手に打つことができました。
イメージ通りにヒットしたボールは、ピン手前1.8mで急速にスピードダウンして止まります。後で録画を見ても選手全員が果てしなくショートしています。この最終グリーンだけかなり重い状態だったようです。
さて、上りの重い1.8mのパーパット。
どうしたの ?! ってくらい強打してしまいます。1.8mを4mくらい打った感覚です。
自分には不安や恐怖は一切なく、「たのむぞ入ってくれよ~。」くらいの心境です。
脳や身体が反応しているのは全て無意識の部分なんです。
13番ではドン!と身体を止められた感じでした。
この18番は他人が打ったって感覚ですかね、、。
「グリーンが重かった」のと「カップのど真ん中から」が重なってラッキーに向こうの壁に当たりカップインしてくれました。
壁ドン。
TV中継では、競技者たちがショートしまくりで苦労しているグリーンなので、僕の強打に解説者は、「上手いパットですね~!」って。笑笑
パーです。汗
はじめて自分の身体をコントロールできない。そんなことを味わったのがこの試合でした。
もちろん、ゴルフや私生活でもこんなに緊張したことがなかった僕は、重い通りに身体って動かんくなるんやなー。
パーパット入ってよかったわ。
くらいの思考でホールアウトします。なにせ初経験ですから。
これが深いトンネルの入り口でした・・・・。
大会の結果は142ストローク(71・71)。2アンダーパー。アマチュア2位。
幸運に恵まれながらですが、よく頑張ったと思います。
ベストアマは140ストローク(69・71)。4アンダーパー。
この大会での142ストロークは限界でしたし、素直にベストアマの選手を讃えられました。
前記事にも書きました。
この試合を基点として、ボギーを打ってはならない。~をしたらいけない。ミスショットは許されない。こんな考え方のゴルフにどっぷり自分を追い込んで行きます。加えて、身体やメンタルのケアは一切せずに「技」だけを追及していくんです。
同年、富山国体三重県代表に選出されるなど、順調な競技ゴルフ人生を歩んでいきます。しかし2年後とうとうその時が訪れます。2002年中部アマチュア選手権で腰を痛めます。この時は疲れからくるギックリ腰でした。同時に椎間板ヘルニアと診断されます。
かなり疲れも溜めていました。
身体のケアもしない。
トレーニングもしない。
メンタルトレーニングなんか頭の隅にもありません。
身体も心も故障して当然なんですよね。
3日間点滴されながら寝たきりで入院。
2週間は寝返りもツライ状態でした。
日を追うごとに少しずつ良くなりましたが、
こんな状態で3カ月後の2002内閣総理大臣杯 日本社会人選手権の予選も兼ねている、
中部社会人選手権に強行出場します。
カート搭乗可能ということで出場を決めたのですが、無理やったら棄権しよう。くらいのノリでした。
あらゆる痛止めの薬を挿して飲んで出場しました。
優勝するんですよね。笑
ゴルフも人生も何があるかわかりません。
でも、参加したから優勝できたのは間違いなさそうです。
一昨年(2001年)、この試合は大差のトップを走っていたにもかかわらず台風の影響で短縮競技になり優勝を逃した悔しい大会でした。だからゴルフの神様が与えてくれたのかなと思っています。
痛み止めの効果もあり、アウトを3アンダーでターンします。が12番ショートホールをダブルボギーとし、1アンダーに落とします。
その後はもがき苦しみながら1アンダーをキープしたままホールアウトし、優勝という結果なんですが、この大会で本当に不思議な行動をします。
ダブルボギーを打った次の13番以降、歩んできたゴルフ人生でパターのグリップ(握り方)なんか変えたことないし、変えたいと思ったこともないのに、パターのグリップを悩み出します。競技中に握り方を悩みはじめたのです笑。
実際、握り方を変えて2回打ちました。
マジなんです。
2本とも上りのバーディーパット。
どんなグリップで打ったかというと。
クロウグリップ。
今でさえ、クロスハンドグリップとともにメジャーなグリップになったが、15年前はまだ超マイナーなグリップ。
PGAのクリス・ディマルコ選手が活躍してクロウ(カラスのくちばし)と名付けられた握り方。
クリス・ディマルコ
2002フェニックスオープン優勝。2005マスターズ2位。タイガーウッズにプレイオフで敗れる。ツアー通算4勝
このとき、
打てない。動かない。何か失敗する。
という無意識が溢れ出たんだと考えられます。
アマチュアがバックナインの中盤までアンダーパーをキープしながら試合をする展開はそうそうありません。
このままスコアをキープしたまま絶対に終えたい。その強い思いしかありませんでした。
パターが一番自信のあったクラブ。
一番自信のあったものを脳はこのままでは打てなくなるよ。って身体に指令を出していたんですね。だからグリップを無意識が変えさせた。
不思議です。
でも本当。
現在は長尺パターしか競技では持てなくなりました。
上りの長い距離のパッティングにたいして自分は起因するようです。
強く打つことにたいして特に症状がでやすいんですね。
朝のハーフは棄権する可能性もあるなか、薬を飲んで振れる振れると喜びながら3アンダー。
ところが、優勝あるんちゃうか?とスケベ心に火が付いた瞬間にダブルボギー。
まだ可能性はある。
でももうオーバーはできない。
これに似た体験はゴルファーならありますよね。
今日は100を切るチャンス ! あの人に勝ちたい負けたくない ! コンペでいいスコアを出したい ! 上がり3ホール頑張れば70台 ! ベスト更新かも !
こんな時、いつも僕は。
ボギーは打てない。ミスショットは許されない。
失敗してしまう自分を責める。
当然こんな感じの思考でした。
向上心が強くていいことなんですが、この考え方に片寄ると非常に危険なんです。
現在の僕はこう考えます。
1アンダーをキープするには。
残り6ホールに対しての作戦を具体化して、実行するようにします。
もうボギーは打てない!ミスできない!
ではなくて。
13番をバーディーにできないだろうか。
バーディーを狙うルートに打ちたいボールを放とうと具体化に努力します。
打ち下ろしのティーショットをドライバーで低目に打ち、左ピンに対して右サイドがベスト。打ち上げの残り距離は130y以内まで運ぶ。
これを実行に移します。
低い弾道を打つためには短く持ち、ヘッドスピードを抑えて腰を切ることを忘れずに。そして右バンカーからフック目で狙うこと。このようにスコアでしかなかった意識をワンショットへの意識に変換させて実行していきます。
もちろんミスはするし、ボギーはダメだいう感情を抑えられない時もあります。
しかし、このように意識して具体化し、実行することで身体の中から無意識が溢れ出してくるイップス症状は間違いなく薄れます。
これは次回ゆっくり説明することにします。
しかし、この大会の直後に限界が来ます。
秋頃からクラブが振れないほどの腰の痛みに襲われ、さっぱりゴルフができなくなります。その間、治療に2年超を要しました。
徐々に回復し、ようやく振れるようになった2年半後に待っていたのは受け入れ難い現実でした。
今回はここまで。
次回、ワーストスコア108ストロークを記録。
お楽しみに。
長文拝読ありがとうございました。
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【プロフィール】
伊藤 源太
1964年生まれ
Pearl Association of Japan
一般社団法人 日本真珠協会
日本が誇る真珠ブランドの発展と世界発信に活動しています。
【ゴルフ主歴】
富山国体 三重県代表
三重県アマ男子チャンピオンズカップ 優勝
PGA中部フィランスロピーダブルス 優勝
中部社会人ゴルフ選手権 優勝
2001~2010 地域ジュニアゴルファー育成会・地元高等学校指導など、ボランティア講師を歴任。
【SNS】
Genta Itoh
楽しいゴルフ人生を、イップスとともに歩む!
はじめに
いつもブログを読んでいただき、ありがとうございます。
これからもゴルフを中心に日記を綴っていきたいと思います。
ゴルフは1987年にはじめてクラブを握り、その間休憩したり、一生懸命したり怠けたり、のめり込んだりと2017年現在まで楽しく厳しく続けています。ゴルフ歴30年という節目にゴルフの魅力や楽しさをアマチュアゴルファーの視点から伝えたいと思いブログをはじめました。
おもしろおかしく読んでいただければ嬉しいです。
こんにちは。
今回は僕自身の経験したイップスとその奮闘記です。
ゴルフ歴に沿ってイップスの発症から現在までを数回に分けて書いていきます。
簡単に説明できないし伝わらないと思うので字数をいただくこと、ご理解ください。
m(_ _)m
一気に駆け上がった絶頂期から、どん底へ頭から落ちますのでご期待下さい。
イップスは今でも解明できていない部分が沢山あります。また、発症パターンや、種類など個人個人によっても違いがあります。ブログを読まれているイップスで悩んでいる方には、まずイップスというものを知ってほしい。そして、受け入れてほしいのです。このブログがそのキッカケになれば本当に嬉しいです。
さて、前文で紹介したようにイップスとは、
子犬の甲高い声を英語で表す「yips」から造られた造語で、
スポーツなどにおいて精神的な要因によって思い通りのプレーができなくなる運動障害であり、誰もが出会う可能性のある精神的な症状で、人の性格やタイプで出る出ないというものではない。
ゴルフでは有名ですが、野球やその他様々なスポーツ、ダンス、演奏などのあらゆる芸術表現等において、今までできていたにも関わらず、突然思い通りのパフォーマンスができなくなる症状だということ。
医学的にはジストニアと呼ばれ、遺伝性や脳卒中などによって起こることが知られているが、同じ動きを繰り返す運動や仕事をする人に見られる場合に「職業性ジストニア」と呼ぶ。
実際「なんですかそれ?」ですよね。
イップス経験がない人からすれば、わからないと思います。
わからないんですよ、当然なんです。
僕も理解してあげることができませんでした。
僕が発症したのは13年前の40才の時。
ゴルフをはじめたのは23才でしたが競技に参加したのは遅くて33才から、本格的に参戦するのは35才でした。
この頃すごくゴルフ環境に恵まれていて。
いまでも親交深い、家田浩人プロのゴルフショップが自宅から車で3分の場所にオープン。反対方向に車で3分走れば300ヤード級の練習場。15分圏内にゴルフ場が5つありました。
ゴルフ上達の大きい要因はやはり家田プロご家族との出会いです。
上のお姉さん二人は、三重県女子ゴルフの国体代表選手や監督も歴任しています。
家田プロの周りのプロ連中とあーでもないこーでもないってゴルフ談義しながらラウンドできるんですよ。
プロショップですからクラブは売るほどあるし、シャフト入れ替えや修理なんかもプロが裏方になって相談やアドバイスをしてくれます。
これ以上の状態が他にありますか?!これだけ揃った環境で恵まれたゴルフ人生を過ごしていました。
36才となる2000年が成績も平均ストロークも生涯ベストの年になります。
もちろん、競技だけじゃなくプライベートやコンペも含めた数字です。
ベストスコア
〇レギュラーティー63ストローク(-9)
〇バックティー67ストローク(-5)
年間平均ストローク
〇72.03ストローク / 68ラウンド
もしかして天才 ?! なんて思ってました。
33才で競技ゴルフに参加してから3年後でしたから勘違いもしますよね。
いわゆる「てんぐ状態」笑笑笑
この頃。
ひとりのプロゴルファーに、、
蚊?ですかってくらい小さな声でこう相談されました。
「実は、、アプローチができないんです⤵️」
僕は二度見しながら、んっ、、アプローチが出来へん?、、そんなことあんの?
「振れんのですよ....。」
「練習のときはまだいいんですけど、本番になると全然ダメなんですよ.......。」
打ち方のこと??
「違うんです、身体が止まるっていうか反応してしまうっていうか、パンチが入ってしまうんです.....。」
そうなの、、上げて下ろすだけじゃないの?!
今思えば、こんな失礼なことを吐いてしまうわけです。
心の声はもっとヒドい。↓
(なんやこの人訳わからん・・できへん言い訳してくんなよ、プロやめて違う仕事したらどーや)、、、、最悪です。
本当にすみませんでした。
深く反省しております。m(_ _)m
しかし、自分がイップスを体験したことで、はじめてこの会話が理解できたのです。
親身になって相手を思いやり、謝る気持ちが生まれました。
イップス経験はある意味財産でもある。今は本心そう思えるようになりました。
これから、これってイップスだったのか・・・という経験をお話します。
時は同年、2000年三重県オープンゴルフ選手権。
舞台は霞ゴルフクラブです。
ここで初イップス症状を2回体験することになりましたが、この時は何のことやらまだ意味不明で気づきません。
引き続き好調なゴルフを維持しながら、予選3年目にして通過した2000年三重県オープンは、初参加でした。しかしながらゴルフの状態は「豚が木に登って天狗のお面をかぶった状態」ですので、初日71ストロークでベストアマ争いに加わります。
豚が木に登っている状態を家田プロが創るんです。
上手に褒めて煽てて自信をもたせます。
初日成績、アマチュア1位69、2位70、3位71、4位72。
二日間競技の最終日です。
前半を終えて、これから勝敗を決するバックナインに突入します。この時、初日2位のアマは同組で3打落として通算1オーバパー。僕も1打落として通算イーブンパー、1打逆転していました。初日1位のアマの成績は2組後ろなので情報が入ってきません。
その後ピンチとチャンスを繰り返しながら、通算イーブンパーで13番パー5、絶好のバーディーチャンスを向かえます。その距離3mは1カップ外すくらいで、まあまあ上りのフックライン。パターに自信を持っていた僕は8割以上入るだろうとアドレスに入りました。
バックストロークがはじまり、いつものように打つだけです。怖さや緊張もない状態でのパットでした。ただ入れることだけを考えて放った瞬間、、ドクン!!と心臓の付近で音がして身体が止まったのです。左側だけ動かなかったという表現がいいのかもしれません、、、。実際、音はしてませんが。
ボールはカスみたいに転がりカップの右手前20㎝で静止しました。
このとき体感イメージとして、至近距離からおもいきりボールをぶつけられて僕の身体に当たってからコロコロ転がりながらカップ20㎝で止まった。
こんな別映像フィルムが今だに心に残っています。
僕は、「何やさっきんのは!?」とちんぷんかんぷん。
もう~、ちゃんと打てや~、何しとんじゃ~、的な感じで自分を責めながらタップインパー。
何が起こったかわからんし、気にもせず、この時はただのミスだと思いました。
ただし、違うイメージまでが心のフィルムに残っているのは気持ち悪さを無意識に感じているからなんですね。
ホールは進みます。15番パー5でバーディーチャンスが再び訪れます。2mのカップの幅も曲がらない、フラットに近い緩い上りのスライスライン。
ジャストタッチでど真ん中から入ってくれました。
13番のようなドクンもなく、普通の緊張感のあるパット。通算1アンダーに戻した僕は、あとひとつ伸ばすことしか考えずに猛進します。
上がり3ホール!
終盤の緊張がピークに達するこの上がり3ホールを伸ばすことしか考えないんですよね、初参加のくせに。あらためて思います、豚の木状態ってマジで超越したメンタル状態だと!!
「豚が木の上で天狗の面」までくると嫌われると思いますが、自分を「豚の木状態」にしてスポーツやビジネスに生かせる訓練ができるのでは・・それを生かしていただければ幸いです。今そんなことを感じております。
少しそれましたね、戻ります。
16番ショートホールでは7m「入った!」と思った瞬間、カップに蹴られてしまいます。パターを落として頭を抱え、ふてくされて歩くのをTVに撮られてしまいました。
次の17番ではピンチを向かえます。
強い前足上がり傾斜の右ラフにボールがすっぽり埋まってしまった。
フライヤーで大オーバーか、当たりそこないで変なとこに飛んでいく感じの嫌なライです。
イメージも何もないままヤケクソで打ったボールは、あたりそこないのフライヤーみたいな感じでグリーン手前にワンクッションしてゴロゴローーーッと奥のピン位置まで転んでいき、1m強のバーディーチャンスについたのです。
カップ右真横についたのでフックラインなんですが、曲がり幅がイメージできません。15番の2mよりはるかに難しい1mでした。あまり曲がらないと決断し、入ってくれと念じたボールは静かにカップに沈んでくれました。
さて、33才で競技ゴルフに参加した雑草みたいな男が、3年後、三重県オープン選手権で通算2アンダーで最終ホールに挑みます。
あと1ホール。
最終18番は475ヤード、パー4。左OBの圧力は半端なくプレーヤーを襲います。
もちろんバーディーホールとは到底言えません。今大会平均は4.5ストロークをオーバーする難ホールです。
ベストアマ獲得。
ボギーでもアンダーフィニッシュ。
ポジティブ、ネガテイブなこと。
色々なことを考えましたし、緊張しました。
ここで面白いのが、18番のティーグランドで豚が木から降りてくるんです。笑笑
さっきまでバーディーしかない!とか息巻き、どこからその自信が湧いてくんの?
みたいな豚が、木からスルスルスルと降りてきます。
降りてきたというより、降ろされました。
ビビったんです、18番の景色に、それと舞台に。
オモロイよね、、こんな一瞬で変わるんやーって思った。笑
そんなこんなで残すはあと1ホール。
なんと!この大事な場面で、2回目のイップス症状を体験することになります。
前の13番よりハッキリと「変」と感じるものでした。
この大会を機に、結果を気にしないで向上を楽しんでいた昨日までのゴルフから、
ボギーを打ってはならない。バーディーをとらなければならない。ショットミスは許せないという「心・考え」に急加速で変わっていきます。
このメンタルはレベル関係なしで誰でも自然に起こる意識です。だけど、「バーディーをとるのにベターなルートを探そう!」や「いいショットを放つために必要な準備をしよう!」という表現に置き換えれば、最終目的は似たものになるけど過程の発想や行動は大きい差になるわけです。
この考え方の違いがイップスに関する要点のひとつだと専門家の先生たちは伝えています。
今回はここまで。
最終ホールの結末は・・・。
次回は底なしイップス沼に頭からハマっていきます。
楽しみにお待ちください。
長文、拝読ありがとうございました。
m(_ _)m
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【プロフィール】
伊藤 源太
1964年生まれ
Pearl Association of Japan
一般社団法人 日本真珠協会
日本が誇る真珠ブランドの発展と世界発信に活動しています。
【ゴルフ主歴】
富山国体 三重県代表
三重県アマ男子チャンピオンズカップ 優勝
PGA中部フィランスロピーダブルス 優勝
中部社会人ゴルフ選手権 優勝
2001~2010 地域ジュニアゴルファー育成会・地元高等学校指導など、ボランティア講師を歴任。
【SNS】
Genta Itoh
イップスてなに・・⁈
はじめに
いつもブログを読んでいただき、ありがとうございます。
これからもゴルフを中心に日記を綴っていきたいと思います。
ゴルフは1987年にはじめてクラブを握り、その間休憩したり、一生懸命したり怠けたり、のめり込んだりと2017年現在まで楽しく厳しく続けています。ゴルフ歴30年という節目にゴルフの魅力や楽しさをアマチュアゴルファーの視点から伝えたいと思いブログをはじめました。
おもしろおかしく読んでいただければ嬉しいです。
今回はよくゴルフの話題に出る、イップス( yips) について触れてみます。
8月のNEC軽井沢で優勝を果たした、比嘉真美子プロ。ドライバーイップスからの復活優勝!!は記憶に新しいですね。
日本女子アマ2連覇。
プロ入り後すんなり2勝をあげて日本中が期待するプロゴルファーでした。十代での優勝だったと思います。
しかし、翌年シードは守ったものの活躍は目立たず、その翌年2015年にはシードを落とします。この原因がドライバーイップスだと取り上げられています。しかし本当のことは本人しかわからないですかね。でもスランプだったことは間違いありません。
2016にはシード復活まで復調し、2017NEC軽井沢ではプレーオフの末の劇的優勝でした。僕は比嘉プロのスイングが好きなファンのひとりです。
だから、スゴク嬉しくて感動しました。
イップスとは、
「スポーツなどにおいて精神的な要因によって思い通りのプレーができなくなる運動障害であり、誰もが出会う可能性のある精神的な症状です。ゴルフ、野球だけではなく様々なスポーツやダンス、演奏などのあらゆる芸術表現等において、今までできていたにも関わらず、突然思い通りのパフォーマンスができなくなる症状です。」
※河野昭典先生著書 イップスかもしれないと思ったらまず読む本より引用
「突然できなくなる、、、。」
突然なんて、その道で生計を立てるプロ選手としては、過酷すぎますよね。
比嘉選手は克服して復活優勝を成し遂げました。がもし本当にイップスだとすれば、克服しきれているのだろうか?ファンとしては心配です。
同じく女子プロゴルファーの森田理香子選手や堀奈津佳選手なんかも「突然」、、です。阪神のエース、藤浪晋太郎投手もこの問題で注目されています。
日本を代表する大切な選手たちなので復調を願っております。公表していないだけで、スポーツ界には山ほどイップスに悩まされている選手はいると思います。スポーツ界だけではなく、ピアニストやドラマー、他の角界の方々においても苦しんでおられる人は沢山おられます。
イップスになりやすい人。
河野先生の著書によると、イップスは誰でも現れ得る症状。人の性格やタイプで出る出ないというものではない。
しかし背景などを分析していくと「思いの強い」人にその傾向が見られる。また、型をつくらないアメリカ人より、型にはめる日本人のほうが傾向が多いとも書いてあります。
日本人の場合は型に当てはめようとする思いと、身体が動かしたい「本来の動き」との間にギャップが生まれてしまう。アメリカ人はお国柄その傾向は少なく、向上心や莫大な稼げるお金に起因するケースが多いようです。
加えて年齢による脳の衰退も関係すると言われています。シニアツアーで長尺パターが多いのはその傾向を表していますよね。
やはりメンタルが動こうとする身体に影響しているのは間違いないようです。
さて、なぜ今回イップスを表題にしたかと言うと。実は僕も13年前にイップスが発症して現在も悩まされているひとりなんです。
一時期はゴルフが出来ないところまで経験した重度なイップスです。現在はまだまだ完治レベルに到達しませんが、少しずつ克服している状態です。
現在克服まっ最中の13年間ですが、友人達にもイップスだと明かさずに隠していた時期が5年程ありました。振り返るとこの5年間が本当に苦しくて、色々自分なりに調べるのですが、どんどん悪くなっていきます。この頃、誰かの体験談や些細な情報を探し求めていました。ひっそり、こっそりと。
たかがひとりのアマチュアのイップス体験談ですが、自分みたいに些細な情報を模索している誰かの参考になればと思い書くことにしました。
では次回、その奮闘記を楽しみにして下さい。
長文、拝読ありがとうございました。
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【プロフィール】
伊藤 源太
1964年生まれ
Pearl Association of Japan
一般社団法人 日本真珠協会
日本が誇る真珠ブランドの発展と世界発信に活動しています。
【ゴルフ主歴】
富山国体 三重県代表
三重県アマ男子チャンピオンズカップ 優勝
PGA中部フィランスロピーダブルス 優勝
中部社会人ゴルフ選手権 優勝
2001〜2010 地域ジュニアゴルファー育成会・地元高等学校指導など、ボランティア講師を歴任。
【SNS】
Genta Itoh
2017人気ドライバー発表!その結果に時代背景が読み取れた!
はじめに
いつもブログを読んでいただき、ありがとうございます。
これからもゴルフを中心に日記を綴っていきたいと思います。
ゴルフは1987年にはじめてクラブを握り、その間休憩したり、一生懸命したり怠けたり、のめり込んだりと2017年現在まで楽しく厳しく続けています。ゴルフ歴30年という節目にゴルフの魅力や楽しさをアマチュアゴルファーの視点から伝えたいと思いブログをはじめました。
おもしろおかしく読んでいただければ嬉しいです。
今回は、ゴルフダイジェストさん調べ。
発表! トップアマの「愛用ドライバー」ランキング。1位はやっぱり“あのクラブ”
関東月例関西月例出場者から調査したトップアマ使用ドライバーランキングを参考にして集計結果に少し驚いたことやゴルフ業界の時代背景を絡めながら書いていこうと思います。
さて、関東関西ともに1位はテーラメイドM2ドライバー!。予想どおり、ドライバーザイヤーですよね!(^^)
関東2位はタイトリスト917D2。
関西2位はカムイTP-07。
ちなみに関東3位もカムイTP-07。
この上位3種ともに共通しているのは硬派なイメージを持ちつつも以外に使いこなせるモデルだということ。
パワーのある若者だけ、競技ゴルファーだけ、ではない一般的なおじさんゴルファーたちまで層が厚く使われている印象のドライバー達なんですね。
1位のテイラーメイドM2はトーナメントやテレビ、雑誌なんかでも抜群の露出を誇っていてプロ使用率の高さが伺えます。
イコール難しいとなるんですが低スピン、高弾道、操作性が高く根強い人気を維持しています。
前文で「驚いた」と書いたのは関西2位関東3位のカムイTP-07のことです。
このTP-07は2013年に発売されたモデルで、カムイ新モデルTP-09や他メーカー新モデルが数ある中でランキング上位だったことが驚き!なわけです。
実は、僕もカムイTP-07を使用しているんです。
しかも2本、本妻と愛人。
だからランキング見て、ほんまに?なんて思いました。愛人は他にも、、、、やめときましょう笑
(1)カムイTP-07 10°ニトロゲン(ヘッドに窒素ガスと発泡材が入っているもの)にフジクラランバックス50S、46インチ、D2バランス。
(2)カムイTP-07 11°バージョンII(ニトロゲンの後期モデルでガスや発泡は入っていない)にフジクラプロト60X、46インチ、D0バランス。
この2本を天候やコースによって使い分けています。
10°のほうは3年使用していて、11°は今年からです。
使用の決め手はズバリ操作しやすくて、なにしろ結果がいいんです。
もっと言うと、スピン量が安定していて高さも自然に出てそこそこ距離が行くんですよ。総合点がいいんですよね。
一発飛びはあるけど横曲がりがヒドイとか、めちゃいい感じで振れて真っ直ぐいったけど全然飛んでないとか、がなくて安定して結果がいいので信用しています。
ゴルフ競技のほとんどがバックティー使用なので皆んな飛んで曲がらないアイテムを追求してやまないわけですよ。
僕はドローボーラーでシニアの年齢なので全てのゴルファーにとって同じ結果ではないと思います。
そこで、「おっさんゴルフ部⛳️」メンバーで9月13日ラウンドテーマをカムイTP-07打ち比べ大会として試打してきました。
上記僕の2本に、
(3)カムイTP-07 9°ニトロゲン、フジクラスピーダーエボリューションIII 60x
(4)カムイTP-07 10°ニトロゲン、三菱ディアマナW 50x
の4本です。すべて46インチです。
まず球筋の分野ではドローボーラーは10°、11°ロフトで中調子シャフトでつかまえながら高弾道!フェーダーは9°、10°ロフトで中調子、元調子シャフトでスピンを抑えながらの強弾道!が相性よろしいようです。
このヘッドはシャフトの特性を素直に出してくれるのが魅力のひとつです。
この4本の中では総合的に誰が打ってもまずまずの結果が出たのは(1)10°ニトロゲン、フジクラランバックス50sでした。
また、同じ10°でもディアマナW50xのほうはスピンが多めの人と相性がよく、元調子なので吹上り回転を抑えたいいボールがでてました。
ディアマナWは50xがラインナップにあるから有難いですね。
こんな感じの結果になりました。
しっかりした計測器があればデータ化できるんですが、、皆さんの参考になれば嬉しいです。(^^)
もうひとつ、カムイ使用率の高さに理由があります。それがゴルフ業界の現状に因果しているんじゃないかなーって個人的に分析しています。
それは、クラブの長さ。
僕の2本も、おっさんゴルフ部⛳️仲間の2本も46インチ。長尺の部類です。カムイはヘッド重量が軽く(190グラム台)、ウェイト交換で重量やバランス調整できたりが特徴です。
簡単に言うとヘッド重量が調整可能なので長尺ドライバーがつくりやすいんですね。
僕が30才代に使用していたドライバーの長さは44.5〜45.0インチ、総重量は約330グラムでした。現在52才で長さ46インチの総重量は約305〜310グラムの間で調整しています。
30代と50代を比較して何を伝えたいか?
今回のランキング調査では40代以上の競技者が多かったんじゃないかと紐解きました。
年をとればヘッドスピードが落ちます。
飛距離を補うひとつの方法として長尺シャフトとなります。
若者層でのランキング集計だったらまた違う結果になったかもしれません。
キャロウェイのエピックなんかもランクインしそうですよね。
競技者年齢が高いのでカムイが選ばれた!このように推測してます。
僕は3年前にシニア入りしてから県シニアオープンには毎年出場しています。
今年9月22日で3度目の出場になります。この試合はまずまずの人気でして、エントリーをゆっくりしているとすぐに定員オーバーになるんです。
何故かというとシニア層はゴルファーや競技者も多く活発な層なんですよね。
レギュラーの県オープンで若者たちと競い合うよりも、おじさんたちだけのシニアオープンなら出てみよかなぁ。って感じです。
我国のゴルファー人口はバブル全盛期1000万人を超えていました。
現在は半分の500万人と言われています。
この500万人のうち約半数を60才以上の団塊の世代が占めてるんです。
昨今、太陽光発電に姿を変えたゴルフ場はたくさんあります。
ひとことで時代なんでしょうけど寂しいものです。泣
やはりこういったランキングや統計を表せば、現状が浮き彫りになるものです。
ゴルフ場でもご年配のゴルファーが目立つし、僕らも初老ですからね、まじで。(悲.涙.泣.笑)
しかし、ひとつだけ明るい話題があるんですよ。それは若い女性ゴルファーの増加です。Instagramや他のSNSでもファッションやプレーする楽しさを競い合う女性たちがいて、鮮やかに彩られた投稿がすごく多くなりました。
見ていて笑顔になります。
おもしろさや一生懸命さもビシビシ伝わってきます。
これはLPGA人気の影響でしょう。
女性に限らず、もっともっと若者にゴルフをはじめてもらいたい。
おじさんやおばさんにもう一度再開してもらいたい。
僕が競技ゴルフにのめり込んだ理由はたったひとつでした。「カッコいいなぁ〜!」オレもこんな舞台であんなスコアをだしてみたいな〜!ほんとにこれだけ。
女子はかわいい ♪ 男子はカッコいい!そんなキッカケや象徴が必要なんですよね。
有名無名は関係ないと思います。
特定な団体やスター選手だけじゃない。我々一人一人がゴルフやろうぜ!始めようよ!一緒にしよう!って伝えて教えてあげれば、そこに小さな波ができて、ぶつかり合ってシナジーを生み出します。それは進むごとに大きくなっていくのです。
みんなでゴルフも仕事もカッコよく、可愛く、綺麗になって、憧れの存在でいられるようになりましょう!(^^)/
カッコよく可愛く綺麗になれば、ご褒美は必ず自分にも返ってきます。
たとえばダイエットに成功したらメタボ回避で健康になるし、物事をカッコよく考えれるようになれば自然と笑顔になり回りに人が集まり幸せになれます。
カッコいいの種類もいっぱいあると思う。何かにチャレンジする姿も素敵ですよね。
ひとりひとりが意識を変えて少しづつでもやり続ければ、我国のゴルファー増加に貢献できると僕は信じています。
長文拝読ありがとうございました。
m(_ _)m
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【プロフィール】
伊藤 源太
1964年生まれ
三重県志摩市出身
三重県立水産高等学校漁業科卒業
Pearl Association of Japan
一般社団法人 日本真珠協会
代表理事
日本が誇る真珠ブランドの発展と世界発信に活動しています。
【ゴルフ主歴】
富山国体 三重県代表
三重県アマ男子チャンピオンズカップ 優勝
PGA中部フィランスロピーダブルス 優勝
中部社会人ゴルフ選手権 優勝
2001~2010 地域ジュニアゴルファー育成会・地元高等学校指導など、ボランティア講師を歴任。
【SNS】
facebook/instagram/
Genta Itoh
初ブログ!ゴルフ30年の進化とともに!
はじめての投稿です。
このブログに興味をもっていただき、ありがとうございます。
これからもゴルフを中心に日記を綴っていきたいと思います。ゴルフは1987年にはじめてクラブを握り、一生懸命したり怠けたり、のめり込んだり休憩したり、と2017年現在まで楽しく厳しく続けています。ゴルフ歴30年という節目にゴルフの魅力や楽しさをアマチュアゴルファーの視点から伝えたいと思いブログをはじめました。おもしろおかしく読んでいただければ嬉しいです。
今日は、自宅のゴルフ用飾棚にある、時代を席巻した思い出のドライバーヘッドたちを久々に引きずり出して懐かしい思いにふけってみます。(^^)v
1980年代、100年続いたパーシモン時代に幕を降ろしたテーラーメイド・ツアープリファードメタル。(画像一番上)
世界中が手にしたというイメージがありますね。アルディラのゴールドシャフトなんかもずいぶん流行しました。久しぶりに見たけど、何せ小っちゃい、、、200ccあるんかな?・・・多分ないな。
自分は、7°と8.5°を使ってました。
大スライスで打った瞬間にファー!!!
なんですよね。若いころは飛びすぎ、曲がりすぎでキャディーさん気の毒です。
すみません⤵
1987年、米メジャーのマスターズトーナメントで地元オーガスタ出身の無名プロ、ラリー・マイズが優勝した年です。
当時スーパースターのグレッグ・ノーマン、セベ・バレステロスの二人をプレーオフで破っての優勝。この奇跡の物語に感化されて自分のゴルフはスタートしました。
この頃からマスターズの録画を見ながら寝る。が癖になったんですよね。
日本はバブルど真ん中!
あの頃は儲かりましたか?
札束数えすぎて指鍛えられました。笑
今は大声出したら指折れます。泣
当時35万円でミズノプロTN87のフルセットを購入して意気込んでました。
それにしても、、35億!
ははははー!
2017年ブルゾンネタは外せません。
35万もしたんですね、アイアンセット。
時代ですね。
2i~SWの10本セット。
2番アイアンなんて、、、今打ったらどうなんの?
ピッチャーライナーにきまっとるやないか。
ゴロかも。
若くてヘッドスピードがあった頃は苦手だったユーティリティー(ハイブリッドクラブ)も3番だけじゃなく、4、5番も必需品となりました。
いちおう6UT も持ってますけど。
若いっていいですね ! 台風の日まで友人と練習場に行って、5球で全身ビチャビチャになって「今日は練習無理やな⁉︎」なんて言いながらガムシャラに振ってたのを思い出します。
毎日毎日。
昔のことはこんなにスラスラ思い出す。
新しい記憶はちっとも入ってきませんが、、同年代の皆もそうですかね??
隣りの部屋に来て何しに来たのか忘れるからね・・・・ビックリする。( ̄(工) ̄)
カートを覗いてエッジからピンまで13ヤードを確認して、、、ボールのところに行くともう忘れてます。
男は見た目でいさぎよく打ちますけど。
ほんと情けなくなりますね。
今なに書いていたか忘れる。笑
そう、メタルウッド時代。
テーラーメイド人気も高いままに、J’sメタルが日本ゴルフ界を旋風し、キャロウェイ、ビックバーサ・ウォーバードが世界的に大ヒット!しました。
その後1990年代、ヘッド素材はメタルからチタンへと移りかわって行きます。はじめてのチタンドライバーは1990年にミズノから発売されたミズノTi110、Ti120でした。
世界初チタン!16万円くらいやったかな??「コレ16万するんじゃ!」って建設関係の社長さんたちによく自慢されました。
ちまたでは地元の名門近鉄賢島カンツリークラブの会員権約1億円まで上がってました⤴️
90年代後半、日本ではブリジストン・プロ230エイト(画像奥)やセイコーS-YARDなどがヒットしていて、なかでも230エイトは人気を集めました。
勿論チタン素材ですが、名前のとおりヘッド体積230ccと現在の半分くらいの大きさなんですよ。
当時は思いもしなかったけど、
今あらためて見るとほんと小さい。
これを違和感なしで打ってたんですねー。
もう戻れません、小さくてあたる気がしない。
価格も10万円くらいしてました。
このブリジストン230エイトとバラタカバーのボールでゴルフ競技へ初参加したのが1997年。
先輩に強引に連れて行かれました。
鮮明に覚えています。最初のティーショットはとにかく緊張しました。
初成績はボギー12個の84ストローク!
まあまあです。
ちなみに優勝スコアは75ストローク。
スゴイ風が吹いた日だったので、バックティーから75はリスペクト。
カッコよく見えましたね〜。
これを機に瞬く間に競技ゴルフにのめり込むのです。
2000年、ミズノ300Sドライバー(画像右)が登場します!
体積が初めて300ccを超えた瞬間!
大きく感じましたね。
また、FW版でF145、F175はドライバー300Sと同価格で10万円で販売されてました。
ドライバーと同じチタン素材でしたけどね。
高価。
この年からミズノさんのアマチュアモニターとして数年間務めさせていただきました。
このアマチュアモニターは中部地区で3人。
はい自慢です。
ミズノさん、そして橋渡しくださったイエダプロショップのご家族の皆様。その節は本当にお世話になりました。m(_ _)m
ありがとうございました。
さて、ここから時代は一気に460ccまでテクノロジーを進化させて行きます。(画像左は現在使用しているカムイTP07II460cc)
キャロウェイERCが続き、フルカーボンヘッドのキャロウェイC4なんてのもありました。
プロギアからカーボンとチタンの融合ヘッドDUOが発表されコンポジットヘッドと呼ばれるようになりました。ここらへんは全部世界初の素材とか技術ばかりです。
そして2017年のドライバーオブザイヤーはなんといってもテーラーメイドM2ドライバー。このM2もコンポジットヘッドです。
この30年の時代進化を改めて振り返り、「時代が動いた」とまで表現できるもの。
それは90年代のキャロウェイゴルフの改革的な思想じゃないかなと個人的には思ったりしてます。
キャロウェイゴルフは、「難しいゴルフ」から「簡単にするゴルフ」へと業界の世界観を一新させました。グレートビックバーサチタンはまさにその代表格です。
だからキャロウェイさんにMVPをあげたいと思います。
MVPおめでとうございます!٩(^‿^)۶
MVPはなんか意味がちがうか??
まあええか。
キャロウェイさん!ホークアイドライバー使ってましたよ~~。
何のアピールかわからん、、、、笑
キャビティーアイアンの出現もこの頃やったかな。
この頃から、アマチュアだけではなく多くのプロゴルファーたちも簡単で操作性のある道具へ移行することに抵抗を感じない時代となったのです。
進化の30年。
ゴルフを覚えて一年くらいはパーシモンヘッド。
あの木の柔らかい打感とバラタカバーの感触は身体に染み付いています。
ひとことで30年と言いますが、思えば結構来たもんです。
パーシモンから現代のM2ドライバーまで。
この時代をともに過ごせたゴルフライフは大変貴重なものとなりました。
他にこんな続けたものもないし、一生懸命したものも見当たりません。
振り返えれば、ゴルフにはお金では買えない大切なものを沢山いただいてます。
感謝!感謝!です。
だから感謝を忘れないよう時折クラブたちとこうして思い出を語ろうと思います。
次はいつかな??
どうか生きてますように。
これからもゴルフというスポーツに興味津々です。
あと20年はクラブを振る!
振れるよう準備は大事です。
それと一緒にいてくれるゴルフ仲間はもっともっと大事にしなくては。
いつか皆さんと、楽しく一生懸命なゴルフをご一緒していただければ嬉しいです。
長文拝読ありがとうございました。
m(_ _)m
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【プロフィール】
伊藤 源太
1964年生まれ
三重県志摩市出身
三重県立水産高等学校漁業科卒業
Pearl Association of Japan
一般社団法人 日本真珠協会
代表理事
日本が誇る真珠ブランドの発展と世界発信に活動しています。
【ゴルフ主歴】
富山国体 三重県代表
三重県アマ男子チャンピオンズカップ 優勝
PGA中部フィランスロピーダブルス 優勝
中部社会人ゴルフ選手権 優勝
2001~2010 地域ジュニアゴルファー育成会・地元高等学校指導など、ボランティア講師を歴任。
【SNS】
Genta Itoh