初ブログ!ゴルフ30年の進化とともに!
はじめての投稿です。
このブログに興味をもっていただき、ありがとうございます。
これからもゴルフを中心に日記を綴っていきたいと思います。ゴルフは1987年にはじめてクラブを握り、一生懸命したり怠けたり、のめり込んだり休憩したり、と2017年現在まで楽しく厳しく続けています。ゴルフ歴30年という節目にゴルフの魅力や楽しさをアマチュアゴルファーの視点から伝えたいと思いブログをはじめました。おもしろおかしく読んでいただければ嬉しいです。
今日は、自宅のゴルフ用飾棚にある、時代を席巻した思い出のドライバーヘッドたちを久々に引きずり出して懐かしい思いにふけってみます。(^^)v
1980年代、100年続いたパーシモン時代に幕を降ろしたテーラーメイド・ツアープリファードメタル。(画像一番上)
世界中が手にしたというイメージがありますね。アルディラのゴールドシャフトなんかもずいぶん流行しました。久しぶりに見たけど、何せ小っちゃい、、、200ccあるんかな?・・・多分ないな。
自分は、7°と8.5°を使ってました。
大スライスで打った瞬間にファー!!!
なんですよね。若いころは飛びすぎ、曲がりすぎでキャディーさん気の毒です。
すみません⤵
1987年、米メジャーのマスターズトーナメントで地元オーガスタ出身の無名プロ、ラリー・マイズが優勝した年です。
当時スーパースターのグレッグ・ノーマン、セベ・バレステロスの二人をプレーオフで破っての優勝。この奇跡の物語に感化されて自分のゴルフはスタートしました。
この頃からマスターズの録画を見ながら寝る。が癖になったんですよね。
日本はバブルど真ん中!
あの頃は儲かりましたか?
札束数えすぎて指鍛えられました。笑
今は大声出したら指折れます。泣
当時35万円でミズノプロTN87のフルセットを購入して意気込んでました。
それにしても、、35億!
ははははー!
2017年ブルゾンネタは外せません。
35万もしたんですね、アイアンセット。
時代ですね。
2i~SWの10本セット。
2番アイアンなんて、、、今打ったらどうなんの?
ピッチャーライナーにきまっとるやないか。
ゴロかも。
若くてヘッドスピードがあった頃は苦手だったユーティリティー(ハイブリッドクラブ)も3番だけじゃなく、4、5番も必需品となりました。
いちおう6UT も持ってますけど。
若いっていいですね ! 台風の日まで友人と練習場に行って、5球で全身ビチャビチャになって「今日は練習無理やな⁉︎」なんて言いながらガムシャラに振ってたのを思い出します。
毎日毎日。
昔のことはこんなにスラスラ思い出す。
新しい記憶はちっとも入ってきませんが、、同年代の皆もそうですかね??
隣りの部屋に来て何しに来たのか忘れるからね・・・・ビックリする。( ̄(工) ̄)
カートを覗いてエッジからピンまで13ヤードを確認して、、、ボールのところに行くともう忘れてます。
男は見た目でいさぎよく打ちますけど。
ほんと情けなくなりますね。
今なに書いていたか忘れる。笑
そう、メタルウッド時代。
テーラーメイド人気も高いままに、J’sメタルが日本ゴルフ界を旋風し、キャロウェイ、ビックバーサ・ウォーバードが世界的に大ヒット!しました。
その後1990年代、ヘッド素材はメタルからチタンへと移りかわって行きます。はじめてのチタンドライバーは1990年にミズノから発売されたミズノTi110、Ti120でした。
世界初チタン!16万円くらいやったかな??「コレ16万するんじゃ!」って建設関係の社長さんたちによく自慢されました。
ちまたでは地元の名門近鉄賢島カンツリークラブの会員権約1億円まで上がってました⤴️
90年代後半、日本ではブリジストン・プロ230エイト(画像奥)やセイコーS-YARDなどがヒットしていて、なかでも230エイトは人気を集めました。
勿論チタン素材ですが、名前のとおりヘッド体積230ccと現在の半分くらいの大きさなんですよ。
当時は思いもしなかったけど、
今あらためて見るとほんと小さい。
これを違和感なしで打ってたんですねー。
もう戻れません、小さくてあたる気がしない。
価格も10万円くらいしてました。
このブリジストン230エイトとバラタカバーのボールでゴルフ競技へ初参加したのが1997年。
先輩に強引に連れて行かれました。
鮮明に覚えています。最初のティーショットはとにかく緊張しました。
初成績はボギー12個の84ストローク!
まあまあです。
ちなみに優勝スコアは75ストローク。
スゴイ風が吹いた日だったので、バックティーから75はリスペクト。
カッコよく見えましたね〜。
これを機に瞬く間に競技ゴルフにのめり込むのです。
2000年、ミズノ300Sドライバー(画像右)が登場します!
体積が初めて300ccを超えた瞬間!
大きく感じましたね。
また、FW版でF145、F175はドライバー300Sと同価格で10万円で販売されてました。
ドライバーと同じチタン素材でしたけどね。
高価。
この年からミズノさんのアマチュアモニターとして数年間務めさせていただきました。
このアマチュアモニターは中部地区で3人。
はい自慢です。
ミズノさん、そして橋渡しくださったイエダプロショップのご家族の皆様。その節は本当にお世話になりました。m(_ _)m
ありがとうございました。
さて、ここから時代は一気に460ccまでテクノロジーを進化させて行きます。(画像左は現在使用しているカムイTP07II460cc)
キャロウェイERCが続き、フルカーボンヘッドのキャロウェイC4なんてのもありました。
プロギアからカーボンとチタンの融合ヘッドDUOが発表されコンポジットヘッドと呼ばれるようになりました。ここらへんは全部世界初の素材とか技術ばかりです。
そして2017年のドライバーオブザイヤーはなんといってもテーラーメイドM2ドライバー。このM2もコンポジットヘッドです。
この30年の時代進化を改めて振り返り、「時代が動いた」とまで表現できるもの。
それは90年代のキャロウェイゴルフの改革的な思想じゃないかなと個人的には思ったりしてます。
キャロウェイゴルフは、「難しいゴルフ」から「簡単にするゴルフ」へと業界の世界観を一新させました。グレートビックバーサチタンはまさにその代表格です。
だからキャロウェイさんにMVPをあげたいと思います。
MVPおめでとうございます!٩(^‿^)۶
MVPはなんか意味がちがうか??
まあええか。
キャロウェイさん!ホークアイドライバー使ってましたよ~~。
何のアピールかわからん、、、、笑
キャビティーアイアンの出現もこの頃やったかな。
この頃から、アマチュアだけではなく多くのプロゴルファーたちも簡単で操作性のある道具へ移行することに抵抗を感じない時代となったのです。
進化の30年。
ゴルフを覚えて一年くらいはパーシモンヘッド。
あの木の柔らかい打感とバラタカバーの感触は身体に染み付いています。
ひとことで30年と言いますが、思えば結構来たもんです。
パーシモンから現代のM2ドライバーまで。
この時代をともに過ごせたゴルフライフは大変貴重なものとなりました。
他にこんな続けたものもないし、一生懸命したものも見当たりません。
振り返えれば、ゴルフにはお金では買えない大切なものを沢山いただいてます。
感謝!感謝!です。
だから感謝を忘れないよう時折クラブたちとこうして思い出を語ろうと思います。
次はいつかな??
どうか生きてますように。
これからもゴルフというスポーツに興味津々です。
あと20年はクラブを振る!
振れるよう準備は大事です。
それと一緒にいてくれるゴルフ仲間はもっともっと大事にしなくては。
いつか皆さんと、楽しく一生懸命なゴルフをご一緒していただければ嬉しいです。
長文拝読ありがとうございました。
m(_ _)m
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【プロフィール】
伊藤 源太
1964年生まれ
三重県志摩市出身
三重県立水産高等学校漁業科卒業
Pearl Association of Japan
一般社団法人 日本真珠協会
代表理事
日本が誇る真珠ブランドの発展と世界発信に活動しています。
【ゴルフ主歴】
富山国体 三重県代表
三重県アマ男子チャンピオンズカップ 優勝
PGA中部フィランスロピーダブルス 優勝
中部社会人ゴルフ選手権 優勝
2001~2010 地域ジュニアゴルファー育成会・地元高等学校指導など、ボランティア講師を歴任。
【SNS】
Genta Itoh